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Fallen Angels・・・・・・堕天使 [日常]

最近、近隣での山で、遭難~遭難死の話をよく耳にする。特に単独行の登山では行方不明=発見・回収不能の構図となる。こんな事はまったくもってうれしいことではないが、仏の国の日本では仏=遺体が無いと成仏できないような観念がある。一方キリスト教・イスラムの世界では亡くなった=神に召されたと解釈するらしく(本当かな??又聞なので間違っていそうな気が・・・)すなわち、死=神の構図になる・・・らしい・・・?
何が言いたいのかというと、遭難でその遺体が上がらないと、成仏できない・・・残されたものは、つまり、悲しみがいやされることはない・・・・となってしまう。キリスト教の国では遺体がなくても、神になれてしまう?のかな?
縁起でもない話で恐縮ですが、とにかく、事故の無いように慎重、慎重に・・・山に入りましょうね!という話です。山も人生も慎重に進むのが大切です。

突然話はそれますが、堕天使という言葉があります。堕天使とは・・・・・読んで字のごとく、堕落した天使であります。英語表記するとFallen Angelsとなり、流行歌の歌詞に出てきそうな、フレーズです。“フォ~リ~ン エンジェル~~”。 さらには天使のアンチテーゼで、天使でありながら神に背反し天界を追放された存在である。天使の対極に位置するのが悪魔であるが、天界を追放された堕天使たちの成れの果てが悪魔であるとして、堕天使=悪魔と見なされることが多いが、堕天使と呼ばれるもの全てを悪魔と結びつけることはできないし、悪魔のなかにも過去には天使だった者たちばかりではなく例外もある。あえて堕天使と悪魔を分けて簡潔に定義するなら、
 堕天使:天使として生まれながら、堕落、神への反抗などの理由から天界を追放されている者たち
 悪魔:神に反する者、人間を悪の道に導く者、地獄に住む者

めんどくさい話ですが、誰も生まれる時に悪魔として望んで生まれることも無いし、天使として生まれることも無い。生業によって、結果、悪魔になったり天使になったりしてしまっただけだろう。生きることは一寸先は闇である。山でも一歩踏み外せば滑落である。自分は天使になるのか、堕天使になるのか、悪魔になるのか・・・・

小学生レベルのまとめをすれば、”日頃のおこないにきおつけましょうね!”・・・・ということでしょうね。なんか、くら~~い話だな・・・・とこんなことをつらつら書いてしまった自分に今更ながら反省である。

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